私の歩んで来たマッサージの道のご紹介
マッサージ湯元
営業時間:午前9時〜午後9時
定休日:毎週水曜日
電話:0920-43-0489
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私のマッサージ修業
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 このページでは、これまでに私が歩んできた、マッサージの世界について、年代を追ってお伝えして行きます。
 経歴については、はじめにの所で簡単にご紹介させていただきましたが、ここではより突っ込んで詳しくご紹介させていただきます。
 マッサージと言えども、直ぐに上達する訳でもありません。
 よその釜の飯を食い、いろんな人に揉まれながら、時には泣き、又、時には笑い、又、ある時には挫折も憶え、そして、成功した時の大きな喜び…  そんな私のマッサージ人生を、その頃の時代背景などと共に、ここに公開させていただきます。
1 小学校に入るまで
 私がこの世に生を受けたのは、昭和28年の事でした。
 旧壱岐郡芦辺町(現在の壱岐市芦辺町)に、4人兄弟の末っ子として生まれました。
 生まれつき、視覚障害がありましたので、私の将来は既に決まっていました。
 そう、盲学校に行って、はりきゅうマッサージの勉強をし、資格を取る事です。
 私は常に、その事を、両親から言い聞かされていました。
2 小学校時代
 私が盲学校の小学部に入ったのは、昭和35年でした。
 そう、安保闘争のあった年でした。
 はじめて乗る船、そして、はじめて乗る汽車、全てが珍しく、驚きの連続でした。
 そう、ここで親と離れて暮らすのです。
 私が6歳の時でした。
 盲学校は、一つの敷地の中に、学校と寄宿舎、そして、盲児福祉施設が併設されていましたので、徒歩で通学していました。
 居室は、12畳に8人、そして、寮母さんが一人、寝泊まりしていましたので、それはそれは、凄い物がありました。
 盲学校や寄宿舎には、小学1年生から、専攻科2年まで、全ての生徒がいました。
 そこで、先輩のお兄さんたちから、マッサージの手解きを少しずつ受けていました。
 実は、私がこの壱岐で、治療院を開業する事を決断したのは、小学3年生の時だったんです。
3 中学校時代
 小学校を卒業し、中学校に入ると、敷地は同じでも、校舎が変ります。
 そして、何と言っても、高校生と同じ校舎だったんです。
 時には、上級生の教室に行って、骨や筋肉、神経などの模型や標本を触らせて貰う事もありました。
 更に、寮に帰っても、上級生ばかりだったので、鍼の練習台になったり、又、マッサージを手解きして貰う事もありました。
4 高校生時代
 いよいよ、高校生になると、鍼灸マッサージの勉強に入りました。
 普通の科目を勉強しながら、鍼灸マッサージに関する、勉強をするのです。
 まずは、解剖学、そして、あん摩とマッサージの実技でした。
 みんな交代で、練習をしました。
 高校2年では、生理学、衛生学などと共に、鍼の実技も始まりました。
 3年生になると、一応、マッサージの全科目を履修すると共に、経穴学、所謂、ツボの勉強もしました。
 ここで、マッサージの国家試験も受けました。
 更に、専攻科になると、臨床の実習にも入り、実際に患者さんに施術を行いました。
 そして、鍼灸の国家試験を受け、晴れて卒業となるのでした。
 私は、小学校から数えて、14年間、ここの盲学校で勉強しました。
 
5 広島時代
 私が盲学校を卒業して、初めて就職したのは、広島市の郊外にある、治療院でした。
 ここでは、住み込みで、約10年間ほど、働きました。
 で、最初にやったのは何だったのか?  最初から、患者さんに付かせて貰える訳ではありませんでした。
 最初に命じられた練習、それは、「腕立て伏せと腹筋の運動、そして、逆立ち」でした。
 とにかく、体力を付け、長い時間、揉まなければならないのですから…  で、その次は、「畳押し」、つまり、畳を親指で揉むのです。
 そして、ベッドを揉みました。
 つまり、長い時間、強い力で揉む事が出来ないと、仕事にはならないと言う事だったんです。
 そして、お互いに揉み合いをしたり、院長さんを揉んだりして、練習を重ねました。
 最初は、指が腫れ、物が握れなくなる事もありました。
 2ヶ月もして、仕事に慣れると、だんだんと患者さんに付かせて貰えるようにもなりました。
 そんなこんなで、約10年ほど、この治療院で勤めました。
6 福岡時代
 広島では、色々な事があり、治療院を卒業しました。
 そして、福岡市の早良区と言う所で、、一人で開業しました。
 初めての一人暮らし、そして、初めての治療院経営な訳です。
 とにかく、患者さんが来ない…  しかも、たった一人で知らない土地で暮らすのですから、恐ろしく不安も募りました。
 でも、食べて行かなければなりません。
 夜は、大きな治療院に、マッサージのアルバイトにも行きました。
 そこでは、ホテルマッサージも体験する事が出来ました。
 又、ある時には、サウナにも行って、夜の仕事もしました。
 はっきり言って、ここではもの凄く勉強をさせて貰いました。
7 神戸時代
 やむなく、福岡の治療院を閉鎖した私は、兄を頼って、神戸に行き、長田区の老舗の治療院に勤めました。
 創業は、大正時代ですから、老舗中の老舗ですね。
 私はここで、約11年半、勤めました。
 何しろ、男ばかり、11人いる治療院です。
 しかも、最長で、37年間、勤めている人がいました。
 それで無くても、10年、20年勤務はざらでした。
 でも、雰囲気は凄く自由でしたので、働きやすい職場ではありました。
 問題は、仕事の中身です。
 神戸市の長田区、それも、新長田駅の南側は、マッサージの激戦区でもありましたし、又、ケミカルシューズの工場も沢山あり、靴の仕事に携わる人も多かったので、マッサージに対する目は、凄く厳しい物がありました。
 ある日の事、突如、事件は起こりました。
 ある女性のお客様に当たった時の事でした。
 いきなり「あ、とのさんか、あんたやったら、もんでいらん、次の人にして!」  そう言われました。
 つまり、私の施術は、許否されたのです。
 が〜〜〜〜〜ン!!!! そう、私のプライドは、見事に打ち砕かれたのでした。
 広島で10年間、住み込みで勤め、後、自分でも開業していたんだから、誰にでも必ず受け入れて貰える…  私の傲りだったんですね。
 早い話、私の実力は、ここでは全く、通用しなかったのです。
 それから私は、火のようになって、マッサージの研究をしました。
 朝も、昼も、夜も、そして、布団に入ってからも、とにかく、仕事をしていない時は、自分の体で、マッサージの練習をしました。
 そして、職場の先輩を捕まえて、練習台にもなって貰いましたし、又、揉んでも貰いました。
 自分の手が空いている時には、先輩の手元をじっと見つめ、手の動きなどをつぶさに研究しました。
 中には先輩から「とのさんはおそろしいよ!じ〜〜っと、手元を見つめ取るからな」と言われた事もありました。
 そうやって、私は、少しずつ固定客も付き、だんだんと収入も安定して来ました。
 でも、私の人生を大きく変えた物がありました。
 そう、阪神淡路大震災です。
 神戸の街は、一瞬にして、別世界になっていました。
 三日間、避難所にも行きましたし、水は近くのクリーニング屋さんの井戸水を貰いにも行きました。
 しばらくして、長田区の仕事場に行ったら、辺り一面、焼け野原になっていました。
 でも、幸いなことに、私の勤めていた治療院は、無事でした。
 でも、人は強いです。
 少しずつ、復興も進み始め、落ち着いた生活を取り戻して来ました。
 その後私は、約3年間は、神戸で暮らしました。
 
8 そして、今…!
 そんなこんなで、神戸の街を後にしたのは、平成9年の10月9日でした。
 それから約3ヶ月、生まれ故郷の家にいましたが、11月の終わり頃、今の家が見つかり、準備をした後、1月に、今の場所に入居しました。
 そして、平成10年2月1日、小学3年生の頃に描いた夢を実現する事が出来たのでした。
 そう、マッッサージ湯元の誕生です。
 もう、ほとんど最初から、待ちかねていたように、沢山のお客様に来ていただいております。
 でも、何かもう一つ足りない物がある…  そう、点字新聞に、マッサージを見直して見ませんか?と言う記事が載っていたんです。
 早速私は、その記事を投稿した人に電話をかけ、その人が発行する本を取り寄せ、じっくりと聞き、マッサージの技術を組み立て直しました。
 お陰様で、より滑らかなマッサージが出来るようになりました。
 そうやって、少しずつ定着して行きました。
 ところがここでもまたまた、大きな事件に遭遇する事になってしまいました。
 2005年(平成17年)の事でした。
 そう、あの、福岡南西沖地震の時でした。
 ちょうど、阪神淡路大震災から10年目の時でした。
 目がおかしくなり、病院に行ってみたら、網膜剥離になっていたのです。
 3月から約1ヶ月間、福岡の病院に入院し、手術を受けました。
 お陰様で、視力は失わずに済みました。
 やはり、無理をしていたのではなかったかと思います。
 壱岐に来て私が最初に思った事、それは、自分の居場所をしっかりと作る事でした。
 地元の自治会や公民館は元より、商工会や観光協会にも所属し、地元の皆さんとお知り合いになり、仲良く暮らして行くと共に、いろんなアイデアを実行して見たかったのです。
 お陰様で、毎日楽しく、仕事をさせていただいております。
 又、鍼灸マッサージの業界団体や、視覚障害者協会にも所属し、同じ境遇の人たちや、業界の人たちとも、繋がりを持っていたいですね。
 これからも、マッサージ湯元を宜しくお願いします。
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もっと気楽に、もっと気軽に、もっと手軽にマッサージ!!
マッサージ湯元
〒811−5544
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殿川 敏朗
→次は、施設、設備です。
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